事例詳細
調査・質問内容
質問番号 | 0010005606 |
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状態 | 受付済 |
質問日 | 2018/05/11 |
徳川家康が江戸に幕府を開くよりも前に、神田明神があった場所が知りたい。
図書館からの回答
回答状態 | 公開済 |
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公開日 | 2021/08/26 |
関連質問番号 |
以下の資料から、神田明神の創建時の場所を確認できた。
資料1『神田明神誌』p.7-10
天平2(730)年、武蔵国豊島郡芝崎村に創建されたこと、この地域は神田橋内大手町付近、大蔵省と内務省の間の、将門首塚のあった場所と考えられること、慶長8(1603)年、駿河台に移転したこと、元和2(1616)年、湯島台に遷座したこと等の記載あり。
なお、その後は明暦3(1657)年に回禄、元禄6(1693)年に震災で回禄、明和9(1772)年に回禄、大正12(1923)年に関東大震災で回禄するも、その都度造営、遷座され現在に至っていることも記述がある。
資料2『神田明神史考』p.111
「御府内備考続編」巻之九(文政12(1829)年頃編)の「神田明神社」の項に、神田橋御門内→駿河台→湯島と場所が移っていったとある。原文は以下のとおり。
「当社往古神田橋御門内(今神田橋御館之場所)に有之、其後年代不知駿河台(今鈴木町辺)へ遷座有之候処、元和二丙辰年当湯島之地所へ替地拝領仕遷座有之候。」
p.112には、文政年間(1818~1830年)の神田明神社の地図も掲載あり。
資料3『神田明神の辺り その1~その10』その2 p.5
「将軍家康はことのほか山王社と明神社を崇拝し、明神を江戸の鎮守とし、江戸城の鬼門を治めるものとした。慶長八年(一六〇三年)、城の拡張工事のため将門首塚のみを残して明神を神田台(駿河台)鈴木町へ移したものゝ更に元和元年(一六一五年)現在の地、湯島台宮本町に約一万坪を与へ、神田大明神としたのである。」とある。
参考文献
転記用URL
https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/reference/search-detail.do?qesid=0010005606&lang=ja1/1