事例詳細
調査・質問内容
質問番号 | 0010005575 |
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状態 | 受付済 |
質問日 | 2019/03/12 |
もみじ饅頭が生まれたきっかけについて知りたい。伊藤博文が関係していると聞いた。
図書館からの回答
回答状態 | 公開済 |
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公開日 | 2021/12/16 |
関連質問番号 |
都立図書館蔵書検索をキーワード<菓子×じてん>で検索し、ヒットした資料を中心に調査した。
GoogleBooks(https://books.google.co.jp/)をキーワード<伊藤博文><もみじ饅頭><まんじゅう>等を掛け合わせて検索し、ヒットした資料を調査した。
また、都立図書館で契約している新聞データベースをキーワード<伊藤博文><もみじ饅頭><まんじゅう>等を掛け合わせて検索した。
資料1
p.346に「もみじ饅頭」の項がある。「伊藤博文が宮島に来て、紅葉谷で遊んだ折り、茶店の娘がお茶を出したところ博文は娘の手を取って『もみじのようなかわいい手だ。焼いて食べたらさぞおいしかろう』と言った。これが伝わって『もみじ饅頭』が出来たという。」とある。
資料2
p.211に「もみじ饅頭」の項がある。「由来は、明治時代に宮島もみじ谷の旅館「岩惣」に泊まった伊藤博文が、見事な紅葉の景観を絶賛したことをヒントに、同旅館の女将が創製、茶菓子として使ったのが最初と言われている。」とある。
資料3
p.297,299に「第3章 樹木の伝説 カエデ 葉は和菓子に」という節がある。高津常助が岩惣の女将・岩村栄子からアイデアをもらい製造したのが最初であると書かれている。もみじ饅頭の説明として、「一般には、宮島を訪れた伊藤博文が、ある娘の可愛い手を見たときの発言がキッカケになったといわれています。」(p.299)とある。
資料4
p.137-139に「創出の物語―もみじ饅頭と伊藤博文伝説」という節がある。資料1と同様のエピソードを紹介しているが、「本当のところはよくわからないのが実情のようだ」(p.137-138)とある。岩惣の女将が高津常助に依頼して製造したのがはじまりであるという説も紹介している。
情報1
「毎索」(毎日新聞社)
『毎日新聞』2006年1月1日 地方版/広島 29頁 「もみじ饅頭:愛され100年 味、伝、統和の文化伝え/広島」
「岩惣」の主人に伊藤博文のエピソードについてインタビューをしている。「岩惣」の主人はそのエピソードは作り話であるとし、女将が高津常助に作らせたのが起源であると述べている。
資料5
『日経流通新聞(日経MJ)』2011年9月11日 5面「もみじ饅頭――伊藤博文の冗談が由来(地域ブランドA to Z)」(縮刷版 p.73)
伊藤博文の娘の手のエピソードについて書かれており、高津常助がこの話をヒントに「紅葉型焼饅頭」を完成させたとある。
新聞データベース「日経テレコン」(日本経済新聞社)からも閲覧することができる。
資料6
『読売新聞』2017年10月11日 23面「もみじ饅頭と伊藤博文(磯田道史の古今をちこち)」(縮刷版 p.453)
磯田氏が伊藤博文のエピソードの真相を確かめるべく、宮島を訪れた際の出来事が書かれている。
新聞データベース「ヨミダス歴史館」(読売新聞社)からも閲覧することができる。
以下の資料は後日調査によるもの
資料7
『朝日新聞』2021年5月15日 4面「広島のもみじ饅頭、広く愛される理由は?(47都道府県の謎)」(縮刷版 p.538)
高津常助の孫が「伊藤博文の冗談がヒントになった」と、伊藤博文の娘の手のエピソードを紹介している。
新聞データベース「聞蔵IIビジュアル」(朝日新聞社)からも閲覧することができる。
以上のデータベースの最終検索日及び最終アクセス日は2021年10月21日である。
参考文献
転記用URL
https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/reference/search-detail.do?qesid=0010005575&lang=ja1/1