放送批評懇談会/著 -- 学文社 -- 2013.6 --

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中央 書庫 一般図書 /699.0/5129/2013 7102311284 Digital BookShelf
2013/07/05 可能 利用可   0
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ISBN 4-7620-2380-4
ISBN13桁 978-4-7620-2380-4
タイトル 放送批評の50年
タイトルカナ ホウソウ ヒヒョウ ノ ゴジュウネン
タイトル関連情報 NPO法人放送批評懇談会50周年記念出版
タイトル関連情報読み エヌピーオー ホウジン ホウソウ ヒヒョウ コンダンカイ ゴジッシュウネン キネン シュッパン
著者名 放送批評懇談会 /著
著者名典拠番号

210000127570000

出版地 東京
出版者 学文社
出版者カナ ガクブンシャ
出版年 2013.6
ページ数 955p
大きさ 22cm
価格 ¥12000
内容紹介 一貫して「放送」をウォッチし、論評してきた専門誌『放送批評』『GALAC』。その掲載論考の中から、1967年から2012年まで、それぞれの時代状況や時代の息吹を象徴するものを選び出し、収録する。
書誌・年譜・年表 年表・放送史50年 藤田真文 小林英美作成:p941~952
団体件名 放送批評懇談会
団体件名読み ホウソウ ヒヒョウ コンダンカイ
団体件名典拠番号 210000127570000
一般件名 放送-歴史-ndlsh-00613231
一般件名カナ ホウソウ-レキシ-00613231
一般件名 放送
一般件名カナ ホウソウ
一般件名典拠番号

511386000000000

分類:都立NDC10版 699.04
書評掲載紙 朝日新聞  2013/08/11   
資料情報1 『放送批評の50年 NPO法人放送批評懇談会50周年記念出版』 放送批評懇談会/著  学文社 2013.6(所蔵館:中央  請求記号:/699.0/5129/2013  資料コード:7102311284)
URL https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/opac/switch-detail.do?lang=ja&bibid=1152284522

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内容 内容ヨミ 著者名 著者名ヨミ ページ
テレビ媒体の理論と実態 / 理想像による現実の超克 / 『放送批評』1967年12月号 テレビ バイタイ ノ リロン ト ジッタイ 志賀 信夫/著 シガ ノブオ 16-27
弛緩のメディア / 放送批評-わがこころのキシミ / 『放送批評』1968年1月号 シカン ノ メディア 稲葉 三千男/著 イナバ ミチオ 28-39
Quo Vadis,Radio?-番組と営業サイドからみた民放ラジオ- / 『放送批評』1968年6月号 クオ ヴァディス ラジオ バングミ ト エイギョウ サイド カラ ミタ ミンポウ ラジオ 島地 純/著 シマジ ジュン 40-47
ドキュメンタリとルポルタージュ / 座談会 / 『放送批評』1968年7月号 ドキュメンタリ ト ルポルタージュ 牛山 純一/述 ウシヤマ ジュンイチ 48-58
七〇年安保にからむ放送 / 六九年の放送界を展望 / 『放送批評』1968年12月号 ナナジュウネン アンポ ニ カラム ホウソウ 志賀 信夫/著 シガ ノブオ 59-81
「テレビとは何か」という問いの重味 / 今野勉論に託して / 『放送批評』1970年1月号 テレビ トワ ナニカ ト イウ トイ ノ オモミ 青木 貞伸/著 アオキ サダノブ 82-88
ヒューマン・タッチをCMにもりこむには / 座談会 / 『放送批評』1970年2月号 ヒューマン タッチ オ シーエム ニ モリコム ニワ 荻 昌弘/述 オギ マサヒロ 89-101
牛山純一にきく「ベトナム海兵大隊戦記」 / 『放送批評』1970年3月号 ウシヤマ ジュンイチ ニ キク ベトナム カイヘイ ダイタイ センキ 青木 貞伸/著 アオキ サダノブ 102-107
十二歳の放送番組審議会 / 『放送批評』1971年2月号 ジュウニサイ ノ ホウソウ バングミ シンギカイ 鳥山 拡/著 トリヤマ ヒロム 108-118
陽焼けした生活人からの発言 / 日の丸から四年 / 『放送批評』1971年6月号 ヒヤケ シタ セイカツジン カラ ノ ハツゲン 萩元 晴彦/著 ハギモト ハルヒコ 119-125
<ラジオ>からの証言 / ラジオ「作り手」と「送り手」の現場から / 『放送批評』1971年6月号 ラジオ カラ ノ ショウゲン 吉村 育夫/著 ヨシムラ イクオ 126-131
国家と放送 / 今後の放送行政の問題点 / 『放送批評』1972年1月号 コッカ ト ホウソウ 清水 英夫/著 シミズ ヒデオ 132-140
「テレビ」は何を発注するか / 『放送批評』1972年3月号 テレビ ワ ナニ オ ハッチュウ スルカ 佐怒賀 三夫/著 サヌカ ミツオ 141-149
ジャーナリズムとしてのテレビ / 番粗分類の考え方をこえて / 『放送批評』1972年4月号 ジャーナリズム ト シテ ノ テレビ 山本 明/著 ヤマモト アキラ 150-157
報道とパブリシティの間 / 「広報部」と「取材者」の“情報パック”化されるニュースをめぐる対峙 / 『放送批評』1973年2月号 ホウドウ ト パブリシティ ノ アイダ 松田 浩/著 マツダ ヒロシ 158-165
ドキュメンタリー「キャロル」 / なぜ客観的でなければならないか / 『放送批評』1973年11月号 ドキュメンタリー キャロル 龍村 仁/著 タツムラ ジン 166-172
不可視なメロ・ポリティックス / 私状況と諸映像の同衾 / 『放送批評』1973年12月号 フカシ ナ メロ ポリティックス 松尾 羊一/著 マツオ ヨウイチ 173-181
現代における中継 / 技術の進歩と「中継」の変貌 / 『放送批評』1975年5月号 ゲンダイ ニ オケル チュウケイ 藤竹 暁/著 フジタケ アキラ 182-190
放送はエスタブリッシュド・メディアである / 「署名性と匿名性」から遠く離れて / 『放送批評』1975年6月号 ホウソウ ワ エスタブリッシュド メディア デ アル 後藤 和彦/著 ゴトウ カズヒコ 191-199
匿名性と記名性について / 三菱重工業ビル爆破の意味するもの / 『放送批評』1975年6月号 トクメイセイ ト キメイセイ ニ ツイテ 別役 実/著 ベツヤク ミノル 200-204
“個”と“普遍性”の振幅においていかにテレビ批評を成立させるか / 対談 放送批評の自立性について / 『放送批評』1976年1・2月号 コ ト フヘンセイ ノ シンプク ニ オイテ イカニ テレビ ヒヒョウ オ セイリツ サセルカ 山本 明/述 ヤマモト アキラ 205-215
テレビはジャーナリズムたりうるか / 『放送批評』1976年12月号 テレビ ワ ジャーナリズム タリウルカ 矢崎 泰久/著 ヤザキ ヤスヒサ 216-228
活字と映像の間 / 「落日燃ゆ」「妻たちの二・二六事件」 / 『放送批評』1977年2月号 カツジ ト エイゾウ ノ アイダ 澤地 久枝/著 サワチ ヒサエ 229-233
三時間ドラマはかく創られた / その誕生と栄光そして未来 / 座談会 “獅子のごとく”を中心に サンジカン ドラマ ワ カク ツクラレタ 大山 勝美/述 オオヤマ カツミ 234-250
オレ!音像人間タモリ / 座談会 / 『放送批評』1978年11月号 オレ オンゾウ ニンゲン タモリ タモリ/ほか述 タモリ 251-258
ビデオ・コミュニケーションの思想 / “開かれたテレビ”を見透す試み / 『放送批評』1978年12月号 ビデオ コミュニケーション ノ シソウ 野崎 茂/著 ノザキ シゲル 259-267
低俗とは / 差別される娯楽番組 / 『放送批評』1979年2月号 テイゾク トワ 澤田 隆治/著 サワダ タカハル 268-274
美しくて哀しい世界を描きたい / 『放送批評』1979年9・10月号 ウツクシクテ カナシイ セカイ オ エガキタイ 木村 栄文/著 キムラ エイブン 275-277
特集・現代、テレビドラマツルギー / 『放送批評』1979年11月号 トクシュウ ゲンダイ テレビ ドラマツルギー
事実とフィクション / 制作をめぐって ジジツ ト フィクション 大山 勝美/述 オオヤマ カツミ 279-285
演出者たり得るために / 演出をめぐって エンシュツシャ タリウル タメ ニ 和田 勉/述 ワダ ベン 286-293
近代劇のドラマツルギー / 脚本をめぐって キンダイゲキ ノ ドラマツルギー 山田 太一/述 ヤマダ タイチ 294-301
地方と自然と人間 / 地方制作をめぐって チホウ ト シゼン ト ニンゲン 伊藤 松朗/述 イトウ マツロウ 302-309
インタビュー インタビュー 山藤 米子/述 ヤマフジ ヨネコ 310-312
要約文化を象徴する「プロ野球ニュース」 / 混在する求道精神と世相探知の精神 / 『放送批評』1980年8月号 ヨウヤク ブンカ オ ショウチョウ スル プロヤキュウ ニュース 藤竹 暁/著 フジタケ アキラ 314-321
コミック文化としての「マンザイ」 / 『放送批評』1980年11月号 コミック ブンカ ト シテ ノ マンザイ 松尾 羊一/著 マツオ ヨウイチ 322-327
話者たちのいるラジオ・いないラジオ / 座談会 / 『放送批評』1981年9月号 ワシャタチ ノ イル ラジオ イナイ ラジオ 三國 一朗/述 ミクニ イチロウ 328-337
意味の世界としてのドキュメンタリー / エッセイ 私のドキュメンタリー作法 / 『放送批評』1982年5月号 イミ ノ セカイ ト シテ ノ ドキュメンタリー 牛山 純一/著 ウシヤマ ジュンイチ 338-344
テレビにぬくもりを感じる瞬間 / 対談 / 『放送批評』1982年8月号 テレビ ニ ヌクモリ オ カンジル シュンカン 山田 太一/述 ヤマダ タイチ 345-356
特集・ドラマ-テレビ巨匠時代 / 『放送批評』1982年12月号 トクシュウ ドラマ テレビ キョショウ ジダイ
新鉱脈との出逢いは楽しい / 早坂暁という作家 / ドラマ作家考 シンコウミャク トノ デアイ ワ タノシイ 深町 幸男/著 フカマチ ユキオ 358-361
個人様式・集合体の様式そして時代様式 / 山田太一という作家 / ドラマ作家考 コジン ヨウシキ シュウゴウタイ ノ ヨウシキ ソシテ ジダイ ヨウシキ 鴨下 信一/著 カモシタ シンイチ 362-365
「-」の重さ / 倉本聰という作家 / ドラマ作家考 ノ オモサ 内館 牧子/著 ウチダテ マキコ 366-369
新しい時代の情報番組が生まれた / 番組解剖 久米宏のTVスクランブル / 『放送批評』1983年5月号 アタラシイ ジダイ ノ ジョウホウ バングミ ガ ウマレタ 三木 鮎郎/著 ミキ アユロウ 370-375
批評のないところに進歩はない / メディア相互の活性化のために / 座談会 ヒヒョウ ノ ナイ トコロ ニ シンポ ワ ナイ 佐藤 精/述 サトウ クワシ 376-386
スーパーウーマン“おしん” / 『放送批評』1983年9月号 スーパー ウーマン オシン 麻生 千晶/著 アソウ チアキ 387-393
テレビ・メディアの弱点を衝く / 「アフタヌーンショー」から見たテレビ / パネルディスカッション テレビ メディア ノ ジャクテン オ ツク 石原 正礼/ほか述 イシハラ マサノリ 394-415
憂国TV論 / 連続シンポジウムをおえて / 『放送批評』1985年8月号 ユウコク テレビロン 平岡 正明/著 ヒラオカ マサアキ 416-427
女・子どもでなぜ悪い / 女性型メディアの可能性について / 平岡正明氏『憂国TV論』に反論する オンナ コドモ デ ナゼ ワルイ 大山 勝美/著 オオヤマ カツミ 428-435
大衆の正しい力学が時代を創る / 第一線放送人をハダカにする出前座談会16 / 『放送批評』1988年11月号 タイシュウ ノ タダシイ リキガク ガ ジダイ オ ツクル 堀 威夫/述 ホリ タケオ 436-450
テレビは何を伝えたのか / 鼎談 天皇報道を振り返って / 『放送批評』1989年5月号 テレビ ワ ナニ オ ツタエタ ノカ 稲葉 三千男/述 イナバ ミチオ 451-460
既存メディアにしがみつくな / ビッグ・インタビュー NHKの積極的未来論 / 『放送批評』1989年8月号 キソン メディア ニ シガミツクナ 島 桂次/述 シマ ケイジ 461-469
エレクトロニクス未来形 / 二一世紀のパーソナル・メディアを実感しよう! / 『放送批評』1991年1月号 エレクトロニクス ミライケイ 高田 佐紀子/著 タカダ サキコ 472-477
テレビにたりない憲法論争 / 国連平和協力法案と放送 / 『放送批評』1991年3月号 テレビ ニ タリナイ ケンポウ ロンソウ 奥平 康弘/著 オクダイラ ヤスヒロ 478-484
地上ローカル局のサバイバル試論 / 衛星放送時代へのパワーシフト / 『放送批評』1991年8月号 チジョウ ローカルキョク ノ サバイバル シロン 河内山 重高/著 コウチヤマ シゲタカ 485-491
イコールパートナーの光と影 / 放送局とプロダクション / 『放送批評』1992年1月号 イコール パートナー ノ ヒカリ ト カゲ 村木 良彦/著 ムラキ ヨシヒコ 492-499
国境を越える電波 / 放送の“国際化”試論 / 『放送批評』1992年9月号 コッキョウ オ コエル デンパ 篠原 俊行/著 シノハラ トシユキ 500-506
郵政省失政録 / the Misgovernment about the Ministry of Posts and Telecommunications / 『放送批評』1993年1月号・2月号 / 上・下 ユウセイショウ シッセイロク 坂本 衛/著 サカモト マモル 507-525
“やらせ”考 / 『放送批評』1993年6月号 ヤラセコウ
マスコミの扱いと責任のとり方 マスコミ ノ アツカイ ト セキニン ノ トリカタ 原 寿雄/著 ハラ トシオ 526-530
ドキュメンタリーの不幸 ドキュメンタリー ノ フコウ 竹山 昭子/著 タケヤマ アキコ 531-535
KBS京都 根抵当の怪とダイエーの思惑 / バブルになぶられた放送局 / 『放送批評』1994年3月号 ケービーエス キョウト ネテイトウ ノ カイ ト ダイエー ノ オモワク 田比良 敏夫/著 タビラ トシオ 536-541
窮地の“言論・表現の自由” / 座談会 / 『放送批評』1994年12月号 キュウチ ノ ゲンロン ヒョウゲン ノ ジユウ 権田 萬治/述 ゴンダ マンジ 542-553
“地震列島”メディアの課題 / 1・17阪神大震災 / 『放送批評』1995年4月号 ジシン レットウ メディア ノ カダイ 青木 貞伸/述 アオキ サダノブ 554-560
阪神大震災報道もうひとつの問題点 / 在阪局からの反論 / 『放送批評』1995年8月号 ハンシン ダイシンサイ ホウドウ モウ ヒトツ ノ モンダイテン 辻 一郎/著 ツジ イチロウ 561-565
テレビと新聞の「競争」と「共生」 / 戦後50年と放送 / 『放送批評』1995年9月号 テレビ ト シンブン ノ キョウソウ ト キョウセイ 新井 直之/著 アライ ナオユキ 566-573
沖縄県民の冷静な怒り / 少女暴行事件報道ウォッチング / 『放送批評』1996年3月号 オキナワ ケンミン ノ レイセイ ナ イカリ 比嘉 要/著 ヒガ カナメ 574-580
沖縄も本土も元凶は日米安保 / 基地取材ノートから / 『放送批評』1996年3月号 オキナワ モ ホンド モ ゲンキョウ ワ ニチベイ アンポ 加藤 久晴/著 カトウ ヒサハル 581-587
“新生TBS”への残された宿題 / TBS坂本弁護士テープ問題 / 『放送批評』1996年8月号 シンセイ ティービーエス エノ ノコサレタ シュクダイ 伊豫田 康弘/著 イヨダ ヤスヒロ 588-594
テレビは文化事業である / 膨大なデータが業界を惑わせる / 『放送批評』1996年12月号 テレビ ワ ブンカ ジギョウ デ アル 田村 穣生/著 タムラ ミノル 595-603
個人視聴率なんて10年はやい / 広告主より視聴者が大事 / インタビュー コジン シチョウリツ ナンテ ジュウネン ハヤイ 五味 一男/述 ゴミ カズオ 604-609
放送にとって批評とは何か / 自己を極限まで解体せよ!! / 『GALAC』1997年6月号 ホウソウ ニ トッテ ヒヒョウ トワ ナニカ 吉本 隆明/述 ヨシモト タカアキ 610-616
なぜ君は“放送批評”するのか? / 「新放送批評派」連帯のためのアピール / 『GALAC』1997年6月号 ナゼ キミ ワ ホウソウ ヒヒョウ スル ノカ 藤田 真文/著 フジタ マフミ 617-623
テレビマンユニオン・ディレクター是枝裕和 / 文学としてのドキュメンタリー / 『GALAC』1997年6月号 テレビマン ユニオン ディレクター コレエダ ヒロカズ こうたき てつや/著 コウタキ テツヤ 624-631
消すな!時代劇職人の技 / 『GALAC』1998年3月号 ケスナ ジダイゲキ ショクニン ノ ワザ 嶋田 親一/著 シマダ シンイチ 632-637
メディアに“ナイフ殺人”の責任はない / 座談会 / 『GALAC』1998年6月号 メディア ニ ナイフ サツジン ノ セキニン ワ ナイ 飯田 譲治/述 イイダ ジョウジ 638-648
ドキュメンタリーは地方から再生する / 座談会 / 『GALAC』1998年6月号 ドキュメンタリー ワ チホウ カラ サイセイ スル 中村 登紀夫/述 ナカムラ トキオ 649-657
北朝鮮はテレビのタブーか? / 『GALAC』1999年2月号 キタチョウセン ワ テレビ ノ タブー カ 石高 健次/述 イシダカ ケンジ 658-663
「参考人招致」なる不愉快 / 政治とテレビ 続 / 『GALAC』1999年6月号 サンコウニン ショウチ ナル フユカイ 清水 英夫/著 シミズ ヒデオ 664-671
増殖する“サッチー”というイメージ / ワイドショーの構造を徹底検証! / 『GALAC』1999年11月号 ゾウショク スル サッチー ト イウ イメージ 今村 庸一/著 イマムラ ヨウイチ 672-680
“失われた90年代”を広告はこう描いた / 『GALAC』2000年10月号 ウシナワレタ キュウジュウネンダイ オ コウコク ワ コウ エガイタ 兼高 聖雄/著 カネタカ マサオ 682-687
バラエティ番組を席巻する“素人”パワー / 『GALAC』2001年2月号 バラエティ バングミ オ セッケン スル シロウト パワー 原 由美子/著 ハラ ユミコ 688-693
そしてドラマはバラエティ化した / 連ドラ『HERO』現象のナゾ / 『GALAC』2001年9月号 ソシテ ドラマ ワ バラエティカ シタ こうたき てつや/著 コウタキ テツヤ 694-699
「アトム」たちが作った新しい世界 / テレビアニメーション文化論 / 『GALAC』2002年7月号 アトム タチ ガ ツクッタ アタラシイ セカイ 諸橋 泰樹/著 モロハシ タイキ 700-711
「密室」政治より「ワイドショー」政治のほうがまし / 特別企画 / 『GALAC』2002年8月号 ミッシツ セイジ ヨリ ワイドショー セイジ ノ ホウ ガ マシ 藤竹 暁/著 フジタケ アキラ 712-721
コミュニケーションはどう変容したのか!? / 『GALAC』2003年9月号 コミュニケーション ワ ドウ ヘンヨウ シタ ノカ 兼高 聖雄/構成 カネタカ マサオ 722-730
地上デジタル現行計画「すでに破綻」の決定的理由10 / 『GALAC』2003年10月号 チジョウ デジタル ゲンコウ ケイカク スデニ ハタン ノ ケッテイテキ リユウ ジュウ 坂本 衛/著 サカモト マモル 731-750
久米宏のいた時代 / “山の手民主主義”が残したもの / 『GALAC』2003年12月号 クメ ヒロシ ノ イタ ジダイ 小中 陽太郎/著 コナカ ヨウタロウ 751-760
視聴率の歴史と「これから」 / 『GALAC』2004年3月号 シチョウリツ ノ レキシ ト コレカラ 岩本 太郎/著 イワモト タロウ 761-767
日本にも懐かしい恋愛シーンのときめき / 韓国ドラマの魅力はここだ! / 『GALAC』2004年5月号 ニホン ニモ ナツカシイ レンアイ シーン ノ トキメキ 中町 綾子/著 ナカマチ アヤコ 768-774
異業種が狙う放送ビジネス!?「ネットと放送の融合」という幻想 / フジテレビVS.ライブドア / 『GALAC』2005年6月号 イギョウシュ ガ ネラウ ホウソウ ビジネス ネット ト ホウソウ ノ ユウゴウ ト イウ ゲンソウ 坂本 衛/著 サカモト マモル 775-784
「記憶」と「記録」の間に / 2005夏テレビは何を伝えたか / 『GALAC』2005年10月号 キオク ト キロク ノ アイダ ニ 藤田 真文/著 フジタ マフミ 785-793
政府・自民党が“経営改革”を叫ぶ四つの背景 / 『GALAC』2006年4月号 セイフ ジミントウ ガ ケイエイ カイカク オ サケブ ヨッツ ノ ハイケイ 小田桐 誠/著 オダギリ マコト 794-802
揺れる!バラエティと報道の境界 / 報道番組の今 / 『GALAC』2006年12月号 ユレル バラエティ ト ホウドウ ノ キョウカイ 山田 健太/著 ヤマダ ケンタ 803-810
制作会社40年間の死闘 / 『GALAC』2007年2月号 セイサク ガイシャ ヨンジュウネンカン ノ シトウ 岩本 太郎/著 イワモト タロウ 811-821
“やらせ”“捏造”はなぜ起こるのか? / 「あるある大事典Ⅱ」が突きつけたもの / 『GALAC』2007年6月号 ヤラセ ネツゾウ ワ ナゼ オコル ノカ 碓井 広義/著 ウスイ ヒロヨシ 822-828
崇高な理念と利害の狭間 / 『GALAC』2007年7月号 スウコウ ナ リネン ト リガイ ノ ハザマ 砂川 浩慶/著 スナカワ ヒロヨシ 829-834
リメイクするより、いまを撃て! / 特別対談 / 『GALAC』2008年1月号 リメイク スル ヨリ イマ オ ウテ 鶴橋 康夫/述 ツルハシ ヤスオ 835-843
テレビが自らを検証する時 / NHKインサイダー事件の「検証番組」について / 『GALAC』2008年9月号 テレビ ガ ミズカラ オ ケンショウ スル トキ 鈴木 嘉一/著 スズキ ヨシカズ 844-851
変貌する東アジアのTVドラマ / 「日韓中テレビ制作者フォーラム」などに見るアジアドラマの潮流 / 『GALAC』2009年1月号 ヘンボウ スル ヒガシアジア ノ テレビ ドラマ 中町 綾子/著 ナカマチ アヤコ 852-858
ポストYou Tube時代の放送批評 / 『GALAC』2009年4月号 ポスト ユー チューブ ジダイ ノ ホウソウ ヒヒョウ 津田 大介/著 ツダ ダイスケ 859-864
報道現場を縛る「三つの制約」 / テレビ経済報道の問題点 / 『GALAC』2009年6月号 ホウドウ ゲンバ オ シバル ミッツ ノ セイヤク 山田 厚史/著 ヤマダ アツシ 865-870
膨張する放送外事業 / 『GALAC』2009年9月号 ボウチョウ スル ホウソウガイ ジギョウ 川本 裕司/著 カワモト ヒロシ 871-882
第三者機関に頼らない倫理とは / 『GALAC』2009年10月号 ダイサンシャ キカン ニ タヨラナイ リンリ トワ 大石 泰彦/著 オオイシ ヤスヒコ 883-889
時代の無意識が見えるドラマ / 視聴者は何を期待しているか / 『GALAC』2010年2月号 ジダイ ノ ムイシキ ガ ミエル ドラマ こうたき てつや/著 コウタキ テツヤ 890-895
作り手が語るドキュメンタリーの魅力と可能性 / 座談会 / 『GALAC』2010年6月号 ツクリテ ガ カタル ドキュメンタリー ノ ミリョク ト カノウセイ 右田 千代/述 ミギタ チヨ 896-904
東日本大震災の被災地を歩いて / 対談 / 『GALAC』2011年7月号 ヒガシニホン ダイシンサイ ノ ヒサイチ オ アルイテ 吉岡 忍/述 ヨシオカ シノブ 905-914
実態とかけ離れていたテレビ報道 / 原発事故初期報道の検証 / 『GALAC』2011年11月号 ジッタイ ト カケハナレテ イタ テレビ ホウドウ 東京大学大学院学際情報学府震災報道調査班/編 トウキョウ/ダイガク/ダイガクイン/ガクサイ/ジョウホウ/ガクフ 915-921
ラジオの役割は見直されたのか / 『GALAC』2012年5月号 ラジオ ノ ヤクワリ ワ ミナオサレタ ノカ 高瀬 毅/著 タカセ ツヨシ 922-930
BSパラドックスを乗り越えろ / 多チャンネル時代に突入したBSの課題と展望 / 『GALAC』2012年9月号 ビーエス パラドックス オ ノリコエロ 川喜田 尚/著 カワキタ ヒサシ 931-939