大櫃 敬史/著 -- 学文社 -- 2015.8 --

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配架日 協力貸出 利用状況 返却予定日 資料取扱 予約数 付録注記 備考
中央 3階B 一般図書 /780.2/5154/2015 7106179125 配架図 Digital BookShelf
2015/09/14 可能 利用可   0
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ISBN 4-7620-2557-0
ISBN13桁 978-4-7620-2557-0
タイトル 日米体育交流に関する実証的研究
タイトルカナ ニチベイ タイイク コウリュウ ニ カンスル ジッショウテキ ケンキュウ
タイトル関連情報 アマースト方式の導入と日本近代体育の成立
タイトル関連情報読み アマースト ホウシキ ノ ドウニュウ ト ニホン キンダイ タイイク ノ セイリツ
著者名 大櫃 敬史 /著
著者名典拠番号

110006765140000

出版地 東京
出版者 学文社
出版者カナ ガクブンシャ
出版年 2015.8
ページ数 10, 236p
大きさ 22cm
出版等に関する注記 G.A.リーランドの肖像あり
価格 ¥3800
内容紹介 米国のアマースト大学で考案された体育は、リーランド博士によって日本に導入された。彼は体育の指導を通して何を日本に伝えようとしたのか、彼の離日後の体育はどうなったのかを解明し、宗教と近代体育の問題にも言及する。
個人件名カナ リーランド ジョージ・アダムス
個人件名原綴 Leland,George Adams
個人件名典拠番号 120000173250000
一般件名 体育-日本-歴史-明治時代-001198049-ndlsh,国際文化交流-歴史-近代-ndlsh-01044807,日本-外国関係-アメリカ合衆国-歴史-明治時代-ndlsh-00568189
一般件名カナ タイイク-ニホン-レキシ-メイジ ジダイ-001198049,コクサイブンカコウリュウ-レキシ-キンダイ-01044807,ニホン-ガイコクカンケイ-アメリカガッシュウコク-レキシ-メイジジダイ-00568189
一般件名 体育-歴史
一般件名カナ タイイク-レキシ
一般件名典拠番号

511127910110000

分類:都立NDC10版 780.21
資料情報1 『日米体育交流に関する実証的研究 アマースト方式の導入と日本近代体育の成立』 大櫃 敬史/著  学文社 2015.8(所蔵館:中央  請求記号:/780.2/5154/2015  資料コード:7106179125)
URL https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/opac/switch-detail.do?lang=ja&bibid=1152683394

目次 閉じる

序章 ボストン体操学校(A Gymnastic School in Boston)の設立過程(1825~28年)-ニューイングランドにおけるドイツ体操導入の試み-
  第1節 ボストン体操学校の設立構想
  第2節 「ボストン公立体操場」設立請願書の起草(1826年6月26日)
  第3節 ボストン体操学校の開設
  第4節 ドイツ体操の推進-A Treatise on Gymnasticks,taken chiefly from the German of F.L.Jahn(Charles Beck,1828)出版の意義
  第5節 ボストン体操学校の意義と限界
第1章 リーランド招聘に関する経緯-アマースト大学所蔵文書の分析を中心として-
  第1節 アマースト大学所蔵シーリー文書について-田中不二麿よりシーリー教授宛て書簡
  第2節 日本側教育関係者(田中不二麿・目賀田種太郎)のアメリカでの活動
  第3節 アマースト大学体育学科の成立(1860~80年)
  第4節 リーランド招聘に至る経緯
  第5節 リーランド招聘がわが国にもたらしたもの
第2章 文部省雇教師G.A.リーランドの滞日書簡-日本近代体育の一断面-
  第1節 リーランド来日後の教育(体育)活動
  第2節 リーランドからヒッチコック博士宛ての書簡(1880年8月3日付書簡)
  第3節 人体測定学(Anthropometry)の導入
  第4節 リーランドの滞日書簡から読みとれるもの
第3章 「本邦体育ニ関スル事項取調方米国公使ヨリ照会一件」(1890年)について-アマースト体育の日本における浸透の行方-
  第1節 米国政府(教育省・内務省)から「日本の体育に関する情報」についての調査依頼
  第2節 米国政府の要請に対する日本側政府(外務省・文部省)の回答
  第3節 リーランド帰国から明治20年代前半におけるわが国体育の動向について
  第4節 アマースト体育の日本における浸透
第4章 坪井玄道の米国体育視察(1902年5月~6月)-わが国近代体育の更なるアイデアを求める旅-
  第1節 坪井玄道の米国訪問
  第2節 ボストンのジャーナルに掲載された「坪井玄道」
  第3節 留学報告-日本近代体育の更なるアイデアを求める旅の総括
  第4節 坪井玄道の米国訪問が意味するもの
第5章 アメリカン・ボード日本ミッションの活動と日本近代体育の成立-来日アメリカ人宣教師関係文書を手がかりとして-
  第1節 アメリカン・ボードによる日本宣教と体育の開始
  第2節 日本の先駆となったアマースト・グループにおける体育
  第3節 アマースト・グループと札幌農学校との結びつき
  第4節 アメリカン・ボード日本ミッションの活動がわが国の近代体育にもたらしたもの
第6章 G.A.リーランドとアメリカン・ボード-来日米国人宣教師文書及びリーランド書簡(1880年10月17日付)の分析を通して-
  第1節 アマースト大学とアメリカン・ボードの結びつき
  第2節 お雇い外国人教師リーランドの任免を巡るアメリカン・ボードの関与
  第3節 リーランドの明治日本への関心-「キリスト教布教の実態」に関する報告~「日本からの個人的な親しみのこもった手紙」(1880年10月17日付)
  第4節 S.E.ヘリックとリーランド
  第5節 G.A.リーランドとアメリカン・ボードの関わり
第7章 アマースト大学における体操プログラムの実験的試み-会衆派ジャーナルにみる記事の分析を通して-
  第1節 会衆派ジャーナルに掲載された記事
  第2節 記事の内容とアマースト大学体操プログラムの特徴
  第3節 会衆派の立場からみたアマースト体育の評価