高屋敷 直広/著 -- 法政大学出版局 -- 2021.2 --

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中央 3階C 一般図書 /134.9/5405/2021 7113959144 配架図 Digital BookShelf
2021/03/10 可能 利用可   0
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ISBN 4-588-15112-5
ISBN13桁 978-4-588-15112-5
タイトル 身体忘却のゆくえ
タイトルカナ シンタイ ボウキャク ノ ユクエ
タイトル関連情報 ハイデガー『存在と時間』における<対話的な場>
タイトル関連情報読み ハイデガー ソンザイ ト ジカン ニ オケル タイワテキ ナ バ
著者名 高屋敷 直広 /著
著者名典拠番号

110006832710000

出版地 東京
出版者 法政大学出版局
出版者カナ ホウセイ ダイガク シュッパンキョク
出版年 2021.2
ページ数 8, 232, 15, 10p
大きさ 22cm
価格 ¥3800
内容紹介 <対話の場>はどこにあるのか? ハイデガーにおける<身体忘却>のゆくえを考察することによって、「存在と時間」から<対話的な場>を明らかにし、自己と他者の新たな共存在像を提示する。
書誌・年譜・年表 文献:巻末p1~15
個人件名 Heidegger, Martin, 1889-1976-entity-00442880
個人件名カナ ハイデッガー マルティン
個人件名原綴 Heidegger,Martin
個人件名典拠番号 120000127430000
一般件名 存在と時間
一般件名カナ ソンザイ ト ジカン
一般件名典拠番号

530225300000000

分類:都立NDC10版 134.96
資料情報1 『身体忘却のゆくえ ハイデガー『存在と時間』における<対話的な場>』 高屋敷 直広/著  法政大学出版局 2021.2(所蔵館:中央  請求記号:/134.9/5405/2021  資料コード:7113959144)
URL https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/opac/switch-detail.do?lang=ja&bibid=1153772735

目次 閉じる

序論
  第1節 本書の目的
  第2節 先行研究の現状と課題
  第3節 本書の考察方法
  第4節 本書の構成
第1章 存在了解の遂行の<場>
  第1節 「時間」への問いから<場>への問いへ
  第2節 ハイデガー時間論の解釈史-時節性の未完と自然の関係を手掛かりに
  第3節 『存在と時間』における自然概念の読解-純然たる眼前性への示唆
  第4節 『存在と時間』の時間論がもつ限界の検討-ドレイファス説を通じて
  第5節 自然を誤解する「自然時間」-ドレイファス説の制限
  第6節 存在了解の遂行の<場>-自然における被投的な「身体」に定位して
  第7節 <対話的な場>の究明へ-<身体忘却>の考察を手掛かりに
第2章 実存論的な空間性を可能にする<場>
  第1節 『存在と時間』における現存在の「身体」への問い
  第2節 ハイデガーの身体問題をめぐる新たな戦場-「身体・霊魂・精神」の破壊
  第3節 「身体」を<場>として解釈する視点-セルボーン説を手掛かりに
  第4節 実存論的な空間性の根源性-アルワイス説を手掛かりに
  第5節 「空間を許容すること」に対する「身体」の関係
  第6節 「方向づけ」の根拠に対するハイデガーのカント批判
  第7節 実存論的な空間性を可能にする<場>としての「身体」
第3章 身振りとしての<場>
  第1節 「身体」と「語り」の連関への問い
  第2節 「語り」をめぐるハイデガー身体論の解釈史-「身振り」の解釈へ向けて
  第3節 「身体」と「語り」の日常的な連関の提示-ヴァルデンフェルス説を通じて
  第4節 「身体」と「語り」の連関の存在論的根拠-ヴァルデンフェルス説の制限
  第5節 思索の身振り-バウアー説を手掛かりに
  第6節 身振りの固有な空間性としての「場」-バウアー説の検討
  第7節 『存在と時間』における身振りとしての<場>-「身体」と「語り」の存在論的な連関
第4章 現事実的で異質な他者と出会う<場>
  第1節 現事実的で異質な他者への問い
  第2節 共存在の解釈史-事実性および「身体」を手掛かりに
  第3節 共存在の解釈における被投性の重視-クリッチリー説を通じて
  第4節 「根源的な非本来性」から<現事実性>へ-クリッチリー説の制限
  第5節 「身体」と共存在-ミヒャルスキー説を手掛かりに
  第6節 現事実的な共存在-ミヒャルスキー説の検討
  第7節 現事実的で異質な他者と出会う<場>-「身体」に基づく共存在
第5章 「語り」の遂行としての<対話>
  第1節 「語り」の遂行への問い-おしゃべりとの対決としての『存在と時間』
  第2節 ハイデガー言語論の解釈史における「言うこと」と「名付けること」
  第3節 ギリシア哲学からの影響-「オノマ」と「レーマ」の解釈を手掛かりに
  第4節 『存在と時間』における「名付けること」の用法-実存疇に定位して
  第5節 『存在と時間』における「言うこと」の用法-「名付けること」との連関をめぐって
  第6節 真理に即した「言うこと」の新たな意義と「聞くこと」
  第7節 「語り」の遂行としての<対話>-現存在と存在の呼応関係
第6章 『存在と時間』における<対話的な場>
  第1節 「倫理」への問い-「語り」の反復に定位して
  第2節 根源的倫理の解釈史-『存在と時間』における「倫理」をめぐって
  第3節 『存在と時間』における存在の近さと言葉-ケッテリング説を手掛かりに
  第4節 「語りとしてのロゴス」と「現」の開示性
  第5節 「言うこと」と「名付けること」に基づく「倫理」-存在との<対話>
  第6節 現存在と共現存在の「倫理」-他者との<対話>
  第7節 『存在と時間』における<対話的な場>-<身体忘却>のゆくえ
結論