兼本 浩祐/著 -- 筑摩書房 -- 2026.4 --

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所蔵館 所蔵場所 資料区分 請求記号 資料コード 所蔵状態 資料の利用
配架日 協力貸出 利用状況 返却予定日 資料取扱 予約数 付録注記 備考
多摩 青少年エリア 青少年図書 /114.2/5332/2026 7120306498 配架図 Digital BookShelf
2026/06/03 可能 利用可   0

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ISBN 4-480-68552-0
ISBN13桁 978-4-480-68552-0
タイトル 「わたし」が死ぬということの哲学
タイトルカナ ワタシ ガ シヌ ト イウ コト ノ テツガク
著者名 兼本 浩祐 /著
著者名典拠番号

110002783920000

出版地 東京
出版者 筑摩書房
出版者カナ チクマ ショボウ
出版年 2026.4
ページ数 255p
大きさ 18cm
シリーズ名 ちくまプリマー新書
シリーズ名のルビ等 チクマ プリマー シンショ
シリーズ番号 520
シリーズ番号読み 520
価格 ¥940
内容紹介 いったい「死」とはどのような事態なのだろうか。今ここにいて物事を感じている「自分」とは何か。生物学、意識科学、哲学を横断し、根源的な問いに迫る。
書誌・年譜・年表 文献:p250~255
学習件名 意識,生と死
学習件名カナ イシキ,セイ/ト/シ
一般件名 生死
一般件名 生と死
一般件名カナ セイ ト シ
一般件名典拠番号

511052000000000

分類:都立NDC10版 114.2
テキストの言語 日本語  
資料情報1 『「わたし」が死ぬということの哲学』(ちくまプリマー新書 520) 兼本 浩祐/著  筑摩書房 2026.4(所蔵館:多摩  請求記号:/114.2/5332/2026  資料コード:7120306498)
URL https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/opac/switch-detail.do?lang=ja&bibid=1155001144

目次 閉じる

はじめに
第一章 体が死ぬということ
  1 生物の「死」の科学
  細胞の死に方/体と同じように細胞は死ぬ運命にあるのか/有用な「能力」として進化の過程で獲得された「死」/不死化する細胞、寿命を規定する細胞/「死」というたがが外れると細胞は癌化する/樹木はなぜ、ときに桁外れに長寿なのか
  2 体のあいまいな境界
  ひとつの体が複数化する植物/複数の個体が融合する粘菌/木の身体の大部分は死んでいる
  3 関係の連なりとしての体
  多細胞生物の仕切りは細胞膜ではない/眼鏡や服は体の一部だろうか/共生する生き物同士は体の外か内か/「わたしと小鳥とすずと」とモナド論/働きかけによって因果関係が修正される存在/体の連続性は「関係」の連続性にある/巻き戻しがきかないほど乱雑になること/熱的死という終わりとその執行猶予としての体/散逸構造としての生命/刻々と再編される身体の境界
第二章 こころが死ぬということ
  1 動物意識-起きていること
  昏睡という状態/動物意識の解剖学/ばらばらに眠り始める脳
  2 他動詞的意識-体験し、知覚する
  意識を意識する「状態意識」/デカルトの「意識」は高階の思考か/意識があると外から観察して確かめるには/「意識」の歴史/表象とは「録画の再生」か「レシピをもとにした料理」か/注意したから感じるのか、感じたから注意が向くのか/クォリアとは何か/知覚直観をめぐるフッサールとハイデガーの論争/教師のいない学習モデルは可能か/個々の主観を橋渡しするコードとしての「言葉」/他動詞的意識に対応する脳の機能/意識を台風の目のようなものと考える/意識の原型とは何か
  3 通時的意識-一続きの「自分」
  体を取り換えた王子と靴磨きはどちらが「王子」なのか/機能が変わらないならそれは「同じ」なのか/脳をふたりに移植したらどうなるのか/意識が途切れるだけでは「自分」は途切れない
第三章 自分が死ぬということ
  1 計ることのできる「快」と「死」
  魂は存在しない/ばらばらの「私」を繫げる「形而上学的接着剤」/死の価値を値踏みするための幸せの総量/不死は死ぬほど退屈である/死ぬのはなぜ悪いことだと人は考えるのか
  2 何が「私」を一続きにするのか
  空間芋虫としての身体/時間芋虫としての人格/「私」を追い求めた20世紀/ベルクソンが考える「私」の連続性/柴崎友香さんの小説におけるばらばらの「私」/「ちゃんと」まとまること、小さな「大きな物語」
  3 社会的死-ホモ・サケルであること
  剝き出しの生/三種類の「私」の同一性/サルトルが考える「存在」/他者が「私」の連続性を担保する/「私」は「私たち」から生ずるのか/「われ」に先行するのは「われわれ」か「おおやけ」か/剝き出しの生は人間の根拠たりうるのか/物語と「私」であること/いじめは人をホモ・サケルにする
第四章 死への処方箋
  1 尊厳療法と辞世の句
  尊厳療法とはどのようなものか/「私」という物語のエンディングとしての辞世の句/死ぬ人が死を物語として語る
  2 やってくるものと正岡子規
  想像の外側からやってくる/森羅万象の細部に分け入る「写生」/「やってくるもの」と出会い続けること
  3 平気で死ぬことと平気で生きること
  すでにある状態でその目的が実現されている/きらきらと輝いて見える
おわりに
文献一覧