事例詳細
調査・質問内容
質問番号 | 0010004115 |
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状態 | 受付済 |
質問日 | 2017/11/06 |
江戸図は西を上にして描いているものが多いが、その理由が知りたい。
図書館からの回答
回答状態 | 公開済 |
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公開日 | 2024/03/26 |
関連質問番号 |
複数の説があり、定説は見出せなかった。
<調査経過>
都立図書館蔵書検索で<江戸図>でタイトル検索、<東京都 古地図>でキーワード検索等を行い、ヒットした資料やその参考文献などを元に調査した。また、国立国会図書館サーチ( https://ndlsearch.ndl.go.jp/ )でも<江戸図 方位>等でキーワード検索を行った。
以下に関連記述のある文献を紹介する。
資料1のp.141-166「古版地圖と民族性」のp.143に、畳上で生活する日本では「地圖は實際の方角に合せて見るが普通であつて、上は北でも南でも何等の差別はなかつたのである。」と生活様式との関係を述べている。
p.144「北を上と定めないことは、圖中特に尊敬すべき部分を上にすることが出來て」、「江戸は城が府内の西部にあつて東面してゐるから江戸圖は常に西を上とし」と重要な建物を上に配置することについて述べている。(国立国会図書館デジタルコレクション 国立国会図書館内/図書館・個人送信限定公開:https://dl.ndl.go.jp/pid/1688043 該当箇所のコマ番号:79-80)
資料2 雑誌『地理科学』45巻3号 (1990年7月)p.137-143「近世絵図の地図性-地図の向き-」(川村博忠)のp.141に江戸時代は絵師が地図作成の主要な役割を担っていて、最も描きやすい方角より描いたという趣旨の記載がある。
p.141-142に地図の向きは地形的条件によって決まる傾向があり、同じ都市の地図が何種類も年を追って作成される場合は、同じ向きが踏襲される傾向があったとの趣旨の記載がある。江戸図が西を上に向けて作成されたのは「東の江戸湾を手前にして江戸城を前面に向け、富士山を借景とすれば図柄がもっとも安定することから、この向きでの地図作成が踏襲的に作成されたのである。」とある。また、畳上の生活では、地図の方向を固定しなくても良いことを紹介している。
この記事は、J-STAGE(科学技術振興機構)にてインターネット公開されている。https://www.jstage.jst.go.jp/article/chirikagaku/45/3/45_KJ00003719306/_pdf
資料3のp.48に江戸図は西部に高台があり、東部に低地と海があるので、西が上のほうが鳥瞰として見おろした感じとなり「京の内裏に近い形で、上下のバランスをとることにもなる。」とある。
資料4のp.115-116に江戸図が西を上にする習慣は「江戸を図化するさいに、その以前の江戸図屏風から後の鳥観図(ちょうかんず)がそうしているように生理的に自然だったろう。」また、「台地を背後に「御城」の大手門を手前にするという点でも自然だった。」との記載がある。
資料5のp.136に必ずしも北が上でないのは「それぞれの都市で最も重要な城郭・寺社などを図の上に据えたものともいえるが、そのほか地形やそれに規制された市街の形状によって、紙に対する図柄のおさまりぐあい、紙幅の節約なども同時に考慮されたであろう。」という記載がある。(国立国会図書館デジタルコレクション 国立国会図書館内/図書館・個人送信限定公開:https://dl.ndl.go.jp/pid/12144546 該当箇所のコマ番号:71)
資料6のp.28-29「江戸城 古地図はなぜ西を上にして描かれたのか」に、将軍家の権威を示すためや西の方角に京都があったためなどの複数の説を紹介している。
資料7のp.12-13「04 地図は必ずしも北が上ではなかった。」では、江戸の地形との関係や慣習に過ぎなかったなどの説を紹介していている。
以上、インターネット情報等の最終検索及びアクセス日は、すべて2024年1月14日。
参考文献のうち、資料3-4、6は都立中央図書館所蔵資料、資料1-2、5、7は都立多摩図書館所蔵資料である。
参考文献
転記用URL
https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/reference/search-detail.do?qesid=0010004115&lang=ja1/1