事例詳細
調査・質問内容
質問番号 | 0010007665 |
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状態 | 受付済 |
質問日 | 2023/11/04 |
江戸城の天守は、家康、秀忠、家光の3人の将軍によって3回、造営された。そのうち、家康、秀忠が造営した天守の位置が知りたい。
図書館からの回答
回答状態 | 公開済 |
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公開日 | 2024/08/29 |
関連質問番号 |
都立図書館蔵書検索や国立国会図書館サーチ(https://ndlsearch.ndl.go.jp/)で<江戸城>、<天守>や家康の造営時期である<慶長度>、秀忠の造営時期である<元和度>などをキーワードとして検索を行った。
資料1 『江戸の都市と建築』
p.28 慶長度については、「(前略)後の御数寄屋多門の西側突出部を含む一郭が該当するかの如くである。」という記載と著者が補注した天守の場所が記載された『慶長十三年江戸図』がある。
p.30 元和度については、甲斐参議忠長邸のあった梅林坂・北桔橋・西桔橋門で囲まれた一郭に天守台を新築した旨の記述と「新たな位置はほぼ現状天守台跡と同じであったろう。」の記載がある。
p.50 慶長度について「(前略)当時本丸北部に出丸があり、従って天守は後の中奥・奥との境―御数寄屋多聞辺にあったと推され」とあり、元和度については「忠長邸のあった北出丸の撤廃、そのあと天守台の移動があり、(後略)」の記載がある。
資料2 『江戸城 築城と造営の全貌』
p.142-143 慶長度については、天守・天守台の位置は、判然としないとし、複数の絵図からの推測として天守台の位置を「現存する天守台よりおよそ二○○メートル程、南側に位置する。該当する位置には、天守台の痕跡が皆無であることから、あくまでも絵図からみた推定位置ということになる。」という記載がある。
p.144 元和度については「御殿の拡張に伴い、天守・天守台は、本丸内の北側に築かれることになる。(中略)元和度の指図は皆無であることから、正確な位置は不明である。」とあり、『武州豊嶋郡江戸庄図』を参照して「その位置は、現存する天守台あたりになろうか。」と記載されている。
資料3 『江戸城天守 寛永度江戸城天守復元調査研究報告書』
p.12 慶長度については「「慶長十三年江戸図」から、本丸中央部西寄り、現天守台より南方であったとされる。」といった記載がある。
p.10-11 元和度については「(前略)それまで旧本丸の中ほど(現在の富士見多門櫓の東方付近)にあった家康の慶長度天守を解体し、以前は出丸だった場所に移転して新たな元和度天守を建てた。(中略)よって元和度天守からは現在の天守台と同位置に築造されることとなった。」と記載されている。
資料4 雑誌『歴史読本』48巻 8号 通巻765号(2003年8月)
p.78-85「「天守造り替え」の謎」(松岡利郎)のp.80にも慶長度、元和度の天守の位置について同様の記載がある。
資料1で紹介されている『慶長十三年江戸図』(資料5)と資料2で紹介されている『武州豊嶋郡江戸庄図』(資料6)は都立図書館の所蔵資料である。都立図書館の江戸・東京関係の資料のデジタルアーカイブである「TOKYOアーカイブ」で画像を公開している。
なお、『慶長十三年江戸図』(資料5)の資料名は都立図書館では『慶長江戸絵図』としている。
資料5 『慶長江戸絵図』
https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000013-00042408
資料6 『武州豊嶋郡江戸庄図』
https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000013-00042416
以上、インターネット情報等の最終アクセス日は、すべて2024年7月10日。
参考文献
転記用URL
https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/reference/search-detail.do?qesid=0010007665&lang=ja1/1