事例詳細
調査・質問内容
質問番号 | 0010007997 |
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状態 | 受付済 |
質問日 | 2021/02/22 |
江戸時代から五代続いた、蔦屋重三郎の歴代当主の経歴や本名を知りたい。
図書館からの回答
回答状態 | 公開済 |
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公開日 | 2024/08/29 |
関連質問番号 |
都立図書館蔵書検索及び国立国会図書館サーチをキーワード<蔦屋重三郎>で検索した。
また、都立図書館で契約しているオンラインデータベース「ジャパンナレッジ Lib」(ネットアドバンス)を<蔦屋重三郎>で検索した。
なお、資料1,3,5~9は都立中央図書館所蔵資料、資料2,4は都立多摩図書館所蔵資料である。
1 初代
初代の経歴はこのほかにも多数見出せたが、本名の記載が見出せたのは以下の資料。
資料1 『出版文化人物事典』
p.256-257「蔦屋重三郎 つたや・じゅうざぶろう 蔦重主人」
生没年月日や出生地、略歴が書かれている。
「別名=喜多川柯理」とあるが、「江戸吉原丸山重助の子で、喜多川氏の養子となる。」との記述もある。(p.256)
参考文献として『蔦屋重三郎』(資料2)が挙げられている。
資料2 『蔦屋重三郎』
蔦屋重三郎の研究書。初代を中心に蔦屋重三郎に関する研究成果をまとめている。
p.205-288「VIII 蔦屋重三郎代々年譜」に、初代から五代目までの蔦屋重三郎についてまとめられた年譜が掲載されている。
出来事ごとに出典が挙げられており、簡単な解説も書かれている。
「喜多川柯理本姓丸山称蔦屋重三郎」とある。(p.207)
出典は『史氏備考』(原念斎)。『史氏備考』については、都立図書館所蔵資料やインターネットで中身を確認できるものを見出すことができなかった。
なお、資料2は新版(平凡社 2012)が出ているが、新版では「蔦屋重三郎代々年譜」は省略されている。
資料3 『国史大辞典 9』
p.768「つたやじゅうざぶろう 蔦屋重三郎」
生没年月日や出生地、略歴が書かれている。
「名は柯理。」とある。
参考文献として『写楽 まぼろしの天才』(資料4)等が挙げられている。
資料4 『写楽 まぼろしの天才』
p.44-86「第三章 風雲児蔦屋重三郎」
前期と後期に分けて、初代蔦屋重三郎の半生が書かれている。
「もと丸山氏某の子と伝わり、新吉原蔦屋本家(喜多川氏)の養子となった柯理」とある。(p.44)
柯理のヨミは「からまる」となっている。
資料5 『江戸の本屋さん』
p.136-155「III 三 近代出版の先駆者・蔦屋重三郎」
蔦屋重三郎の生涯と個性を記した一文として『喜多川柯理墓碣名』が紹介されている。
出典は資料2と同じく『史氏備考』。柯理のヨミは「かり」となっている。(p.138-139)
2 二代目
資料2 『蔦屋重三郎』(再掲)
p.205-288「VIII 蔦屋重三郎代々年譜」
「番頭勇助が養子となり、二代目として蔦屋重三郎の家を継ぐ。」とある。(p.244)
出典は『蛙鳴秘鈔』。
資料6 『近世物之本江戸作者部類』
曲亭馬琴が著した江戸文学の作者事典の翻刻。付録として『蛙鳴秘抄』が収録されている。
p.355-370「蛙鳴秘抄」(山東京山)
「今のつた重、此時番頭をつとめ、後室を後見して家を治む。依而二代の家名を相続す」とあり、脚注十二に「番頭上がりの婿養子勇助が二代目を継いだ。」とある。(p.367)
3 三代目
資料2 『蔦屋重三郎』(再掲)
p.205-288「VIII 蔦屋重三郎代々年譜」
二代目蔦屋重三郎の息子「祐助が三代目を継ぐことになる。」とあり、二代目逝去前後のことについては『義太夫本公訴一件』が出典として挙げられているが、三代目が決まったことについては出典は明記されていない。
また、「三代目については霜傑亭越智直澄『牛の歩行』に「三代目 尾州永楽屋の弟 今の蔦屋重三郎也」とある。」と書かれているが、『牛の歩行』については、都立図書館所蔵資料やインターネットで中身を確認できるものを見出すことができなかった。(p.262-263)
資料7 『人形浄瑠璃』
人形浄瑠璃史料のうち、特に庶民文化史に関する資料が収録されている。
p.79-121「第一部 操り劇書 義太夫本公訴一件」(山根為雄解題校注)
国立国会図書館所蔵の写本(全三冊)を翻刻したもの。
p.92に資料2の引用箇所が掲載されている。
4 四代目
資料2 『蔦屋重三郎』(再掲)
p.205-288「VIII 蔦屋重三郎代々年譜」
本名は不明だが、「四代目蔦屋重三郎となるのは後の二世三亭春馬である。」とある。(p.269-270)
出典は『未刊随筆百種 第4巻』所収の「かくやいかにの記」。
資料8 『未刊随筆百種 第4巻』
p.217-239「かくやいかにの記」(長谷川元寛編集)
第八十一段に「二世春馬は(中略)絵冊子の板元蔦屋重三郎 耕書堂狂名蔦から丸 が三代目なり」とある。(p.237)
5 五代目
資料2 『蔦屋重三郎』(再掲)
p.205-288「VIII 蔦屋重三郎代々年譜」
「五代目蔦屋重三郎となった喜多川竹吉」とある。(p.287)
出典は「耕書堂蔦屋重三郎」。
資料9 『木村仙秀集 3』
p.199-205「耕書堂蔦屋重三郎」
著者が喜多川竹吉と直接面会して聞いた話が書かれており、「実家の蔦屋に継嗣が絶へたので、松芳の二男即ち竹吉翁が出でゝ、蔦屋の名跡を継ぐことゝなつたのである。」とある。(p.204)
参考文献
転記用URL
https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/reference/search-detail.do?qesid=0010007997&lang=ja1/1