事例詳細
調査・質問内容
質問番号 | 0010008440 |
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状態 | 受付済 |
質問日 | 2023/07/10 |
明治時代に日本橋が完成した当初の『読売新聞』の記事で、「日本橋」という橋の字を徳川慶喜が書いたという記事が写真付きで載っていたらしい。その記事を見てみたい。
図書館からの回答
回答状態 | 公開済 |
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公開日 | 2025/03/12 |
関連質問番号 |
まず、日本橋の完成時期を知るため、複数の辞典類を横断検索できるデータベース「ジャパンナレッジ Lib」(ネットアドバンス)で、キーワード<日本橋>で検索した。
情報1
『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)
「日本橋」
「現在の石橋は1911年(明治44)に建造された」と記載あり。
続いて、『読売新聞』の記事を検索できるオンラインデータベース「ヨミダス」(読売新聞社)で、期間を1911(明治44)年に絞り、キーワード<日本橋><慶喜>で検索したところ、以下の記事がヒットした。
旧字は新字に改めて記載している。
情報2
『読売新聞』1911(明治44)年3月16日 朝刊 3面
「日本橋開橋式準備」
「新しき日本橋の橋標揮毫は徳川慶喜老公にして漢字と仮名とを両横に用いたること他の橋に同じ」と記載があり、実際に書かれた「日本橋」と「にほんばし」の字の写しが掲載されている。
その他に日本橋の字について記事がないか調査するため、同じく「ヨミダス」で期間を指定せずキーワード<日本橋><慶喜>で検索したところ、以下の記事がヒットした。
情報3
『読売新聞』1992(平成4)年2月2日 東京朝刊 都民 22面
「[江戸切絵図 わが街今昔]日本橋北・神田・浜町絵図(4)慶喜直筆(連載)」
徳川慶喜の書いた「日本橋」の字について、「その字は日本橋の『本』が『ホン』と見え、新聞に写真が載ると、『ホンと本とは別字なり』との説が沸騰した。書法上差し支えないと確信していた本人も『皆がいうなら』と、すぐに書き改めた。『さすがに前大将軍の度量と皆が感心した』と、老公逝去時の大正二年十一月二十三日付読売新聞は記している。」と記載があった。
「ヨミダス」ではテキストデータしか閲覧できないため、当館所蔵のマイクロフィルムで記事を確認した。
資料1
『読売新聞』1992(平成4)年2月2日 東京朝刊 都民 22面
「江戸切絵図 わが街今昔 日本橋北・神田・浜町絵図(4)慶喜直筆の橋名標」
「ヨミダス」で「ホン」と記載された箇所は、「夲」となっている。
情報3で言及されている大正2年11月23日の記事を確認するため、「ヨミダス」で期間<1913(大正2)年11月23日>、キーワード<慶喜>で検索したところ、以下の記事がヒットした。
情報4
『読売新聞』1913(大正2)年11月23日 朝刊 3面
「徳川慶喜公薨去 噫、徳川末代の名将軍 波瀾曲折の七十七年間」
「慶喜公と日本橋」に、「本」の字を書き直したエピソードと、「日本橋」の橋名標の写真が掲載されている。
情報2と情報4の写真を見くらべると、「日本橋」の「本」の字が違うことが分かる。
また、参考までに、東京の地方紙である『都新聞』(『東京新聞』の前身)の1911年3月から4月の記事を調査したところ、「夲と本は別字ではないか」という読者からの投書が見出せた。
資料2
『都新聞』1911(明治44)年3月17日 1面
「読者と記者 日本橋の「夲」」
以上、オンラインデータベースの最終検索日は、すべて2025年1月23日。
参考文献
タイトル | 注記 |
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【資料1】新聞マイクロフィルム:読売新聞 1331号(1992年2月上) / ニチマイ | |
【資料2】新聞マイクロフィルム:都新聞 76号(明治44年1月〜3月) / 日本マイクロ写真 |
転記用URL
https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/reference/search-detail.do?qesid=0010008440&lang=ja1/1