事例詳細
調査・質問内容
| 質問番号 | 0010009441 |
|---|---|
| 状態 | 受付済 |
| 質問日 | 2024/12/12 |
歌川広重の浮世絵「名所江戸百景 玉川堤の花」に描かれている「桜」について、「桜の木が土手に植えられ花見の名所になっていた」という説と「幕府から撤去を申し付けられ、この絵のような景色となることはなかった」という説があるらしい。どちらが正しいのか。
図書館からの回答
| 回答状態 | 公開済 |
|---|---|
| 公開日 | 2026/03/19 |
| 関連質問番号 |
都立中央図書館蔵書検索を<名所江戸百景><歌川広重>で検索し、ヒットした資料を調査した。
「名所江戸百景」「玉川堤の花」(請求記号:0507-C5)について解説のある資料を紹介する。
以下の資料1~3には、植樹された桜の木が幕命により撤去されたため、ひと月だけの桜の名所であったとの記載がある。
資料1『広重名所江戸百景』
p.157「作品解説 42 玉川堤の花」に「(前略)内藤新宿の旅籠屋たちが、安政3年2月、約75本の桜を植樹した。(中略)しかし、「御用木折り取るべからず」という札が立てられた、すなわち、桜を幕府が植えた木と偽ったことが幕府の目にとまり、同年の3月には桜の撤去が命じられてしまう。この桜並木は、わずか1ヶ月足らずという短い期間で消滅してしまった幻の名所なのである。」とある。
資料2『広重TOKYO 名所江戸百景』
p.206-207「玉川堤の花」に「安政3年(1856)の『藤岡屋日記』には、内藤新宿の土手に御用木と偽って、桜の大木を植樹したと記されている。しかし御林奉行に知られ、この桜は3月に撤去が命じられ4月には取り払われてしまうのである。」とある。
資料3『名所江戸百景 特別企画展覧会』
p.142「043 玉川堤の花」に「この桜は震災で焼失した吉原の代わりとなる歓楽地にしようと、関係者が植樹したが、幕命により撤去を命じられたため、約1ヶ月だけの桜の名所であった。」とある。
資料2の情報をもとに以下の『藤岡屋日記』の翻刻を確認した。
資料4『近世庶民生活史料藤岡屋日記 第7巻』
p.110-111「安政三辰年二月 内藤新宿桜樹一件」
「新宿南側裏手、玉川上水土手通三丁程江、桜樹大小木二月十三日[より](合字)植初メ(中略)右新宿の桜大評判故ニ(中略)殊ニ御用木との高札ハ何れより免し有之哉と被仰候より(中略)扨三月廿七日[より](合字)取懸り四月四日迄ニ不残引払候よし」と、玉川上水土手通りに2月13日より桜を植樹した後、桜が大評判となったが、御用木との高札が役人の目に留まり、4月4日までに残らず引き払うようお触れが出た旨の記載がある。
参考文献
転記用URL
https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/reference/search-detail.do?qesid=0010009441&lang=ja1/1




















